ゼミと就活

自分の話ばっかりします。

電車について思う事

私の卒業制作のテーマは電車だ。なんで私が電車に因縁を感じているのかを語りたくて、覚え書きのようにメモを書いてみた。書き終わって読み返してみると自分の考えのまとまりのなさに呆れたが、どこを捨ててどこをまとめるべきなのかちょっとだけ見えた。やっぱり文章にする力はすごい。せっかくなので私の備忘録としてインターネットに上げておきます。

 

・子供の頃からなんとなく電車には縁があった。中学受験をした私は小学四年生の頃から電車に乗って塾へ通っていたので、もう通算10年以上は電車で通学していることになる。

子供の頃夢中になってやったゲームの「ペーパーマリオRPG」では、リッチリッチエクスプレスという豪華鉄道のマップが特に印象に残っていた。

 

・昔バンドをやっていた時、駅のホームで電車を待っている時、一番素直な事が考えられるという内容の歌詞を書いた事がある。私はとても気に入っていたが、誰からも共感は得られず悲しかった。

歌詞にすることで、電車のホームでしかできない類の考え事があるかもしれない、と意識するようになった。

 

・私は大学へ通学するために毎日ものすごい長い時間電車に乗っている。ほぼ毎日大学に通っていた一二年生の頃は最も通学が大変だった。

一番記憶に残っていることは、わたしが使っている電車全部が運転見合わせ、もしくは遅延した日だ。その日私の祖母が臨終で、急いで家に帰らなければならなかったのにどんなに電車に乗り継いでも一向に家に着かない。ある路線は運転を見合わせ、迂回するために乗った他の路線も運転が遅れていた。早く帰らなくちゃという気持ちもあったが、祖母のことで空気が沈んだ家に帰るのは正直気が重かったので、電車に感謝してしまったことを覚えている。

 

・私は大学で演劇を学んでいるけど、大学生活を総括して一言で表すと電車だ。これは、毎日何時間もかけて遠くの大学まで通っていた、という意味の他に、その電車を上回るほどの経験を大学の勉強でできなかったという意味も込められている。せっかく何時間もかけて大学へ足を運んでいるのに、あまり多くの授業を履修できなかったり、履修した授業を深く掘り下げられなかったり、学びたい内容の授業がそもそも無かったり…大学のせいでも自分のせいでもある諸々の悔しさも込められた一言だ。

 

・電車は目的地まで私たちを運んでくれるけど、その後の面倒は何一つ見てくれない。電車はただの移動手段だが、道具と言い切ってしまうには業が深すぎる。そういうものだ。

・先日母が劇団鹿殺しの「電車は血で走る」を観に行ったらしい。そこでは電車がキーワードの一つとして演出に組み込まれており、電車の速度や音、動作、機械構造や線路網の複雑さなどに焦点が当てられていたそうだ。電車はあくまでツール、というスタンスに共感した。私も観に行きたかったが、あいにく懐が寂しかった。

 

 

こうやって電車に関する思い出を並べてみても、まだ一つ一つのエピソードはばらばらで結びつかない。なんならエピソードの総数も圧倒的に少ない。これらをどうやって束ねていくのかがよくわからなくて、縦糸を探している。今は卒業制作の中でそういう段階です。

最近のトレンドは数字にこだわってリサーチをすることです。私は数字という存在が大っ嫌いで、高校生の時に数学で学年最低点取ったこともあるくらいです。なのになぜ数字にこだわろうとするかというと、一番苦手な数字にこだわれば、その過程でその他の要素たちも詳細に見る事ができると思ったから。まだ始めたばかりだから上手くいくかわからないけど、解像度の高い情報目指して数字を追います。

やらなきゃいけないことばっかだ!