ゼミと就活

自分の話ばっかりします。

チーズインザトラップ

チーズインザトラップという漫画を読んだ。すっごく感動した。

チーズインザトラップ(略してチートラ)は私が紹介するまでもないけど、韓国の漫画で大学生の日常を描いた漫画だ。無料で読める漫画なので大学の友達なんかはみんな読んでる。(大学生は無料漫画に群がりやすい)

で、登場人物の一人・静香と自分を重ね合わせちゃった話をしたい。

 

静香は過去にとらわれて停滞してしまっている女の子だ。自分の親しかった人たちが自分から離れていくのを止めたくて、恐喝したり依存したりすることで彼らを繋ぎ止めておこうとする。

過去の栄光は戻ってこないってわかっていても、「そうする以外なかった」と話す静香はやるせなくて悲しい。

一番なりたい理想像を捨てることができない静香

一番輝いてた時期を忘れることができない静香

静香の過去に捕らわれちゃう気持ちわかるな、と思って静香に感情移入しながら読んでしまった。

 

私にも忘れられない過去がある。

中高一貫校に通っていた6年間がそうだ。私が通ってた中高は「個性を認める」「多様性を認める」という学則の学校で、校則も制服も無く、自由にやらせてもらってた。色んな人がいたから人間関係のもつれとかあったけど、みんなそれぞれ自分に誇りを持って慢心せずに自分の個性≒得意分野を伸ばす努力をしてた。そうやって各々が自分を磨こうとしている環境が好きだった。自分の価値と未来を最大限信じて、自分の時間全部を未来のために投資していた。前しか見ていなかった。きらきらした6年間だった。

在学中から、この6年間が人生最良の6年間になってしまうんじゃないかって恐れてた。生活が充実しているのは学校環境のおかげで、自分一人の力ではそんなに充実した生活を送れないと思っていたからだ。学校はいつか卒業して自立しなくちゃいけない。その日が来るのが嫌だった。

卒業する前になるべく自立しなきゃいけないことは自覚してたから、どうにかしてその力を養おうとしたけど間に合わなかった。自分の力でもっともっと良い人生を掴む決意は固めたけど、ただ決意しただけではどうやったら良い人生を掴めるのかはわからなかった。

今でもその方法はよくわからない。手探りでやって失敗しては中高時代を懐古している。

 

未来には絶対に今よりも良いことが待ってるって思ってないと人生やってらんない。いくら過去に捕らわれていても、体だけでも前に進めなくちゃいけない。

私は就活を通じて、中高の時を忘れられるくらい充実した生活を手にできたらいいなと思ってる。そんな夢みたいなこと叶わないかもしれないけど、他に叶えるべき理想が無い。過去を理由に未来に進もうとしているんだから、結局進んでるのか進めていないのかよくわからない。

 

物語の最後で静香は過去は戻ってこない事を受け入れて前に進もうとする。ようやく過去を諦めた静香の決断にぐっときて、思わず静香の人生と自分の人生を照らし合わせてしまった。

 

最後になってしまったけど、チーズインザトラップ、興味がわいたら読んでください。

 

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就活は自己との対話をするいい機会だ、という話をよく耳にする。自分の将来についてじっくり考えるチャンスは他にはなく、自分の人生に対する考えを深める絶好の機会らしい。

(なんでわざわざ就活をチャンスにしないと考えを深められないのかとか、突っ込みどころはありますが本筋と関係ないので特に言及しません)

確かに、就活によって考え方が変わってしまった先輩たちはたくさんいる。

みんな余計な欲をちょっとだけ削ぎ落として、一番やりたい事しか考えないようになっていった。変化としては良い変化なんだけど、置いていかれる身としてはなかなか寂しい。

そう思っていたけど、私にも変化するべきタイミングが来てしまった。

 

カタストロフィという言葉をゼミでよく扱う。それまで送っていた生活を中断せざるを得ないほどの厄災の事で、例えば大地震とか津波とかを指す。カタストロフィの後にもなんとかして生活を送らなければいけなくて、どうにかこうにか環境に適応して生きることになる。

就活に適応した生活は、それまでの暮らしとほとんど変わらないけど、ちょっとだけ違う。就活は生活の一部でしかなく、就活しながらでも学校に行く。友達と遊ぶ時間も、自分の時間も結構ある。でも、確かに就活によって考え方を変えさせられている。

  

厄災に限らず、私を取り巻く環境はどんどん変わる。生活はあまり変わらないから自分では気づけないけど、いつのまにか遠くへ来てしまっていたりする。それが寂しい時もある。

 

些細な変化に惑わされるのはとってもナンセンスだけど、それにこだわってしまう時もある。

そういう時に軽いフットワークで元いた場所まで行き来できたらいいのにと思うけど、こういう欲張りな考え方も捨てるべきものなのかもしれない。

選考の出来が悪かった。

筆記は時間内に終わらず、面接ではあまりぱっとした事言えなかった。気分はめちゃくちゃサイテーで、今すぐ就活なんて辞めたい、そう思いながら選考を終えた。

でも、ちょっと良い事もあった。選考で同じグループだった子と一緒に駅まで帰った事だ。

その子は就活のために近畿から東京まで通っているらしい。とても明るくて、喋っているとこっちまで元気になってくるような子だった。

その子は食べる事が好きで、東京に来る度に何か美味しいものを探しているらしい。私は近場でおすすめのケーキ屋さんを教えてその子と別れた。

 

その子と喋ったからといって何があるわけでもないけど、サイテーだった気持ちがちょっとだけすっきりした。

 

就活の事を考えない方が上手くいく場合もある。気軽に構える姿勢をいつも忘れてしまうけど、たまに思い出させてくれる出来事もある。

今日みたいな日をちゃんと記録しておくことで、ちょっとでも長く覚えていられたらいいなと思います。

続 志望動機が答えられない話

説明会と面接がくっついてる選考は難しい。

会社について、インターネットだけじゃよくわからないから説明会を聞きに行くのに、説明を噛み砕く間もなく面接で「志望動機は何ですか?」とか聞かれちゃうのだ。今日もその手の説明会に参加してきたけど、面接で何を喋るべきかを大急ぎで考えなければいけなくて、ものすごく疲れる。


面接の中でも一番困る質問が志望動機だ。志望動機に関する質問は会社によって意図が違う。企業の志望度を聞いている場合や、入社後やりたい仕事を聞いている場合、ただ単に学生の性格について把握するために、わかりやすい質問として志望動機を聞いてくる場合もある。質問の意図がわからないとどう答えていいのかわからず困るし、萎縮してしまう。


私が就活をしている一番大きい理由は、周りのみんながやってるからだ。そろそろ大学卒業で、親元を離れなくちゃいけない。だから食い扶持が必要だ。どんな企業でも良いわけじゃないけど、それなりに自分のやりたい事をやれて、福利厚生もそこそこの会社で働ければそれでいい。

なぜ当社なんですか?とか聞かれてもたまたま条件に合う企業がスケジュールに合うタイミングに説明会とか選考があったからです、としか言いようがない。

そういう適当な態度でいるのに、志望動機は何ですか?と聞かれても本当に困る。だからいつも志望動機について考える時は憂鬱になる。

 

私は今日もこじつけの志望動機をエントリーシートに書き続けるけど、昨日みたいにそれが原因で困惑しちゃうこともあるんだろうな。
就活なんかに心を乱されたくないな。あーあ。

志望動機が答えられない話

就職活動をしていて思うことは、とってもあたりまえのことだけど企業も人なんだなあということ。

先日受けた面接で思いがけず企業側の人間らしさに出くわして戸惑った話をしたい。

 

その企業は私にとって滑り止めに受けた企業だったから、第一志望第二志望ほどの確固たる志望理由がなかった。だから、面接で志望理由について突っ込まれた時、私はむりやりこじつけのような志望理由を答えた。

企業が就活生を選ぶ上で大切にしている要素の上位に志望動機が入るらしい。適当に考えた私の志望動機が企業の気に召さないなら、その時はその時。それで落とされたらしょうがない。そういう軽い気持ちで面接を受けに行った。

でも、予想外に、企業側に真面目に対応されて戸惑ってしまった。

私が考える就職活動は、(どちらかというと)企業側が贅沢に優秀な学生を選ぶものであって、学生が企業を選ぶものではない。だから、落とされて元々、という気持ちで面接に臨んだ。でも、私は私の価値を誤解していた。

大学生に対して知名度のある(BtoCとか)の企業とそうでない企業の間では学生を採用する心構えが全然違う。知名度が低い企業は、志望学生が少ない分学生をどうにかして生かさなければいけない。私は落とされる前提で面接を受けに行ったけど、企業側はなるべく学生を落としたくなかったみたいだ。

だから、志望動機一つまともに答えられないような劣等就活生の私にも、企業は困惑しつつも真面目に対応してくれて、私の良い所を見つけようとしてくれて、申し訳なかった。

 

何に興味があって、どんな仕事がしたいか、とか、興味と仕事をどれくらい切り離せるか、は変えようと思ってもなかなか変えようがない素質の問題だ。

私にその素質が足りていないせいで企業人事部を困惑させてしまっている。同時に私も困惑している。ということがとても歯がゆかった。

努力で補えないことは世の中に沢山ある。そういう時に綺麗に諦められたらいいけど、企業に情が移ってしまっていたたまれない気持ちになってしまった。

 

滑り止めで企業を受ける事は悪いことではない。志望度が低い企業に対して説得力のある志望理由を語れないのもしょうがない。だけど、私の将来の保険に他人を巻き込んでしまうのはいけない事だ。

どこで折り合いをつけていいのかよくわからなくなってしまった。

困った。

前言撤回。毎日なんて絶対書けない。

こちとらシューカツで中身の薄い毎日送ってる。そんなほいほい日記なんて書けない。

今日は映画みて家事してwebテスト受けて企業研究してたら一日が終わりました。なんてつまんなすぎる。言葉にしないと考えたこと全部忘れてしまうからきちんと言葉にしようと思ってブログ始めたはずなのに、肝心の思考を何もしていない。

 

就職活動のせいで生活が停滞している今。

未来に向かうための行為のはずなのに、停滞を余儀なくされてるのがきつい。

乗り越えなきゃいけない壁は、大した高さじゃないのに何個も飛び越えなくちゃいけなくて、一番上まで登っても見晴らしも悪いからどこまで続くかわからない。

我慢しようと思って我慢するんじゃなくて、我慢する以外に方法がないからそうしてるだけ。

無力感に苛まれる毎日です!

就活に飽きたら卒制を始めよう

学校の勉強のために毎日ちゃんとブログを書こうと決意した。

私はちょっと実践的な芸術学のゼミに入っていて、4年の終わりに卒業制作をする事になっている。でも、今までの授業でがっつり最初から最後まで制作をした事はないから、経験が浅く制作方法のレパートリーも全然無い。全部手探りでやらなきゃいけない。(もしかして熟練のアーティストも毎回私と同じように足元が不安定な状態で作り始めるのかもしれない。私が考えてる事は甘えかもしれない。ごめんなさい)

そんな中で卒業制作が二進も三進も行かなくなっている。ついこの間まで進めていたプランを、どの方向に持っていけばいいかわからなくなってしまった。

そういう時はインプットする物を変えたりプランから一回距離を取って全然違うことを考えるべきなんだと思う。

でもインプットの質を自分の力で変えるのってめっちゃ難しくてついサボっちゃうし、卒制から距離をとると今度は就活に気を取られて卒制の事を微塵も考えなくなってしまう。このままじゃ卒制が進まない!だから、第三の手段として日記をつけることにした。

私はインプットも足りてないがアウトプットも足りてない。見たり読んだりした物を自分なりに解釈して外に出す習慣が無い。(昔は読書記録をこつこつつけていたけど、最近はめんどくさくてやっていない)アウトプットが苦手な奴に制作なんてできようか。いくらインプットをしても、その情報を上手に使えなければ意味がないじゃないか。

そう思って、考えながらアウトプットすることを習慣にするためにブログを書くことにした。

もともと文章を書くのは苦手、かつサボり癖があるのでいつまで続くかわからないけど、こうやってちゃんと人の目に晒される場所で書いて、1日でも長く続けられたらいいなと思います。

よろしくお願いします。